Adrenaline Addiction

東京湾のLTアジから小笠原の遠征ジギングまで。

指名手配ポスターが怖かった。

幼いころに恐れていたもの。読者諸氏は思い出せるだろうか。

 

暗がり、オバケ、隣の家のデカい犬、自分に危害を与えたりするもの、得体のしれないものへの怖さ、恐ろしさ。

 

とかく子供のころは「怖いもの」がいっぱいで、街でうっかり目にして(オバケはいまだに見たことないが)「ああ、見てしまった」と思うや否や、頭の中は網膜に焼き付いた怖いものの断片が渦巻き、増幅され、トイレに行けない夜を過ごすことが頻りではなかったろうか。

 

そんな「怖いもの」たちの中で長きにわたり最上位に位置し、必死に見ないようにしていたもの。それが指名手配ポスターだった。オウム真理教の。

 

子供ながらに、オウム真理教について得ていた情報はいくつかあった。

まず1つは「すごく悪いことをした奴ら」だということだ。

「紫色の服を着た長髪のオジサンがボスで、その手下みたいな奴らが東京に毒をばら撒いて人を死なせた。」

 

親から聞いたオウム真理教についての断片的な情報はかつての私を文字通り「震撼」させた。悪者と言えば、『百獣戦隊ガオレンジャー』の敵のオルグくらいしか知らなかった私にとって、オウム真理教とその首魁麻原彰晃は見た目的にも行動的にもあまりに「悪者」然としていた。

(白い服を着た手下を大量に従えた紫色の服を着ている太っちょがボス、確かに今考えると、オウム真理教信者の風体はいかにも創作物に登場する敵役だ。)

それから父が松本サリン事件が起こった際に丁度松本あたりに出張に行っており、その時のことをごくわずかに聞いたことがあった。

 

これらのごく断片的な情報は「テレビで目にする世界の出来事が垣根を越えてくるかもしれない」といった幼き自分の素朴な恐怖を煽りまくり、オウム真理教=超悪い奴という認識が、この時点で確固たるモノとなっていた。

(その認識は全くその通りなのだが)

 

そして、オウム真理教についてのもう1つの情報が「まだ捕まっていない奴がいる」という事だ。

 

「悪いことをしたのに捕まってない悪者が存在する。」

 

それまでテレビの中では悪者がボコボコにされ、幼稚園ではヤンチャ坊主が先生にシバかれている勧善懲悪の世界のみで生きてきた紺屋少年にはあまりにも衝撃的な事実だった。

 

また、まだ捕まってないということは、「その辺にいるかもしれない」ということだ。

 

毒撒いて人いっぱい死なせた超悪い奴らがその辺にいる可能性、あまりにもクソガキにはヘビーな「恐怖」だ。

 

この2つの情報から「オウム真理教」は一連のオウム事件を知らない幼稚園児の恐怖の対象となっていった。

 

交番の前は掲示板をなるべく見ないように走り去り、貼ってありそうなところには行かず、駅の改札横のポスター掲示スペースには背を向けて日々を過ごす徹底ぶりだった。

たまにレストラン(食堂)や旅館のフロントなんかにも貼ってあって、うっかり目にすると悲惨である。頭の中では高橋克也と菊池直子に毒を吸わされる想像が駆け巡り、取るもの手に付かず、話は全て上の空。果ては夢にまで見るほどなのだから。

 

特に怖かったのは東京で地下鉄に乗ったときにポスターを「目撃」してしまう事だった。どこの駅だったかはもはや覚えていないが、おそらく地下鉄サリン事件の現場の一つの路線、駅だったのだろう、手配犯3人のそれぞれの顔がデカデカと印刷されたポスターがホームに掲示されている駅があった。(たしか霞が関とか赤坂見附とかその辺だった気がする。)

路線も駅の事も何も知らない幼稚園児がこの突然の遭遇を避けることは不可能である。

自分が乗っているこの電車が「その場所」を通過しないように、あまつさえその駅で下車をするなんてことがないように、祈ることしかできなかったことをよく覚えている。

 

しかし、他の指名手配犯ではなく、なぜオウム真理教の指名手配犯のポスターだけがトラウマ的な恐怖を幼き紺屋少年に植え付けたのか。

それは「逃げてる奴らの顔が揃いも揃って超怖い」ことだ。

 

「おい、小池!」の人はその辺にいそうなオジサンだし、悪人というかむしろいい人の雰囲気さえある桐島聡など、指名手配犯のポスターに載っている人々は必ずしも「怖い顔(≒悪人面)」をしているわけではない。

 

ただオウム事件の指名手配犯、平田、高橋、菊池の有名なポスターの顔写真はあまりに人相が悪い。

平田はそこまででもないが(たまに髭でモジャモジャの手配写真があって、それはかなり怖かった。)、高橋のまっすぐに前を見つめた目に立派な太眉、真っ赤な唇。当時の写真の解像度の問題か、白飛びしたような肌。彼の写真は不気味そのもので、親が見てた「世にも奇妙な~」のタモリなんて目じゃないくらいに怖かった。

菊池は今見ると何が怖かったのか全く分からないが、昔はなぜか見るのを超怖がってた。高橋と同じくらい怖かった覚えがある。

 

現在のイメージ図なんかがついてるとより怖い。モノクロで、老けてて、なんだか実像よりも怖そうに、悪そうに描かれていて、これだけ見てもトイレへ行く心理的抵抗が爆発的に増加したものだ。

 

(ついでに、麻原彰晃の写真も子供心に相当な恐怖を覚えた。言っちゃ悪いが、人相の悪いオッサンがロン毛にして髭を生やすと得体の知れなさが凄すぎて全員怖いのだ。)

 

さて、このような恐怖の日々は小学校高学年で終止符が打たれることになる。

Youtubeにアップされていた尊師マーチのポップなメロディに導かれ、おっかなびっくりwikipediaのオウム関連ページをすべて読破したことがきっかけでオウム真理教に対する恐怖心が大きく低減。むしろ積極的に面白がるようになってしまった。

 

家の中で『尊師マーチ』を歌い、学校でYoutubeのおもしろ動画を探す中で同じく「到達」してしまった友達と『超越神力』を歌い、帰り道でも『魔を祓う尊師の歌』を熱唱し……。

そんな感じで面白がってたところ、中学に上がって少し経つと平田の出頭をきっかけに菊池も高橋も芋づる式に逮捕され、一連のオウム事件の被疑者はすべて逮捕済みとなり、部活に忙殺されて白球を弄びながら「ヨー」だの「サー」などと連呼しているうちに、かつて自分の中の圧倒的な悪と恐怖のシンボルだったあの指名手配ポスターもすべて撤去されていった。

 

かくして、トラウマは克服され、その根源も文字通り消滅していった。

 

今でも稀に、さびれた田舎の掲示板や公民館でポスターを目にすることがある。

そうすると思い出すのだ。自分の原初の恐怖体験とその顛末を。